千町棚田の紹介

 加茂地区には、千町・下津池地区に棚田があります。

 中でも千町地区の棚田は、戦国時代伊藤近江守祐晴が土佐(高知県)からやってきて住み着いて以来、近江守やその子孫が開拓に心血を注ぎつくりあげた段々式水田で、数え切れないほどの水田があるという意味で「東予の千枚田」として知られていました。しかし、近年の過疎化・高齢化による後継者不足により徐々に休耕田が増え、千町の棚田は崩壊の危機に瀕していて、早急な対策が必要となっています。
 また、市内の米作大規模農家が棚田を借り受け、減反政策による分を肩代わりさせていることも棚田の崩壊に拍車をかけています。

 地名の起こりは、山の傾斜地に開墾された田畑が千町(せんちょう=約1000ヘクタール) もあろうかと思われるほど広いところから名付けられたと言われています。標高150mから500mの間にみごとな棚田が広がっています。山腹のいたるところに湧水があり、その水を利用して昔から稲作がおこなわれてきました。
 戦国時代、土佐から山を越えてこの地に土着した伊藤氏により開発されたと伝えられています。
先人が苦労して開拓した棚田も、昭和40年代からの過疎化、高齢化により放置が目立つようになりました。

 「千町(せんちょう)といわるるまでに耕して、住める村見ゆ谷のむこうに」 
かつて、その棚田の美しさを歌に詠まれた千町地区。 現在では雑草が生い茂り荒廃している部分がかなり目立つようになってきました。かつて40haの面積があったと言われていますが、現在耕作しているのは7ha程度になっています。

 棚田は標高150mから500mの山の斜面に広がっています。
谷川の水を利用し上から順に水をためて下の田へ送るという方法で水を確保しています。このような自然条件下でのこの広さは、全国的にもめずらしいようです。
ここ20年間で休耕田や山林の部分が増えているのがわかります。                       
 【文章提供:加茂の荒獅子】     

天まで届かんばかりに耕された千町の棚田(昭和37年) 【写真提供:加茂の荒獅子】


千町棚田の場所


千町棚田の航空写真




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